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Posted by TI-DA at

2017年04月05日

2015年10月26日

NPOアクション映画「ジョン・ウィック」

身体はユルユル、アクションはJ.ステイサムには及ばない。そんなリベンジ俳優、キアヌ・リーヴス主演の映画「ジョン・ウィック」ですが、この映画の魅力はアクションではなかった!全編を貫く、何のために復讐するのか?というテーマが全く新しい。仕事も愛する人も、全てを失った孤独な男(これはキアヌ個人と被っています)を支える希望とは何か?希望を奪われた時に男は狂気と化す。これは21世紀の個人主義社会を生きる我々に共通のテーマだ。私はこの映画を「NPOアクション映画」と呼びたい。

  
Posted by Nakajima at 04:36Comments(0)その他もろもろ

2015年09月27日

人工知能 対極論

いろんな企業や組織が人工知能の可能性に向かい始めているが、圧倒的に人材が少ない。いまスキルを身につければ頭ひとつ抜き出た魅力的な人材になれるでしょう!っていうポジティブ論。

いま日本に圧倒的に足りないのは人工知能に詳しい人材
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20150926/1443248077

人工知能のスキルって言っても、しばらくすればコンビニに入門書が並び、「エクセル使えます」ってくらいのレベルに陳腐化するに違いない。それよりももビジネスやら人生の本質を学ぶことに時間を使ったほうがいい。というネガティブ論。

99.99%の人間は人工知能を専門にするのはやめたほうがいい
http://fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2015/09/27/113757

技術は表層のみを理解していても応用的な利用は困難だし、技術そのものを追求していてもやはり異なるフィールドでの応用の発想は乏しくなる(Google GlassとかApple Watchとか、別にメールの着信をメガネに知らせてくれなくてもいいし、一日中血圧やらを測ってる必要はないでしょ)。
その技術は何を変えるのかっていう本質論と、それを実社会での可能性に置き換えて想像できる大局観の両方がないと新しい価値というのは生み出せないでしょう。

たぶんしばらくの間は進化だ革命だといった看板を掲げて、有象無象のものが世に出てくることになるんだろう。
パソコンが出てきた時、あんなもんはただの計算機だといって馬鹿にしていたオヤジ達は、いまや完全に時代の片隅に追いやられた。
人工知能の現在はその時の状況に似ている気がする。ただパソコン→ネットでの経験を踏まえて、以前よりも慎重になっている。完全無視は危険だという雰囲気だ。

私自身で言えば人工知能が発達して、自分の代わりに勝手にお金を稼いできてくれるのであればありがたい。消費は楽しみなので自分でやりたい。ユートピアだ。でも現実にはそうならないでしょう。
シンギュラリティーとかいって人工知能が自身で進化を始めた時が人類のターニングポイントになるとか、人間vs機械の時代になるとかSF映画のような話ももてはやされているが、やはり人間vs人間の図式は変わらないような気がする。人間は人間と戦うために動き働くであろうし、人間同士が結びつくことで楽しみや喜びが生まれるだろう。たとえ世界の全てと身体の一部が機械に置き代わったとしても人間はやはり人間社会の中で生きていく生物なんだと思う。

なんか大きな話になってしまったけど、今の人工知能ってのは厳密には「知能」ではなく「確率・統計」マシンです。
マシン性能、センシング技術、認識アルゴリズム、インターネットなどの進化によって膨大な量のデータの統計を瞬時に計算することができるため、確率の精度が上がり、あたかも知能があるかのごとく見えているだけです。

「確率・統計」が壮大な科学の一分野にすぎないことを考えれば、「知能」はまだまだ先の話に思えてくる。だけど‥‥油断してるとまたやられちゃうよ。  
Posted by Nakajima at 23:06Comments(0)その他もろもろ