2012年12月29日
オンラインゲームのつくりかた
今年(2012年)、韓国に滞在させてもらった時の話です。
私が世話になっていた居酒屋の常連のお客さんでNCSOFTという会社の社員の方がいました。NCSOFTは今や世界規模に展開する韓国最大のオンラインゲームの開発企業です。
その方は30代の女性。今年(2012年)スタートした新しいゲームの開発プロジェクトチームのリーダーです。チームはたしか7人か8人。彼女以外はすべて20〜30代の男性でした。
彼女はゲームのコンセプトつくりを担当していましたが、傍からみると無邪気な子どもたちをまとめるお母さん、いやお姉さん(苦笑)のようでした。
とても勉強家で、いつも店に来ると日本酒をグイグイ飲みながら、分厚いノンフィクションのペーパーバック本を読みふけっていました(笑)。カッコいい!
と、それはいいんですが(笑)、オンラインゲームとはなんぞや?と興味津々の私は失礼ながらご来店のたびに話しかけ、いろいろと貴重なお話を伺うことができました。
いろんな話を聞きましたが特に印象に残ったことが2つあります。
①ゲームの開発はまずチームつくりから始まるそうです。スタートした時点ではまだどんなゲームになるのかはわからないとのことでした。
②そして開発期間は5年。つまり5年かけて同じチームで一つのゲームを完成させる。
この2つはちょっとビックリしました。私がイメージしていたゲームの開発とは、
・カリスマ・ゲームデザイナーみたいな作家タイプの個人がいて、ゲームの世界観からストーリー、キャラクターなんかの大筋をつくる。
・その後にプログラマーみたいな人たちが3ヶ月くらいの徹夜作業、突貫工事でプログラムを制作。ゲームとしての形を仕上げる。
・同時進行で会社が広告を打って売り出す。
といった工程で、それら全体を管理しているプロデューサーみたいな人がいる。いわば建築家による家つくりと同じようなものをイメージしていたんです。
しかしそれはもはや過去のはなし。現実は正反対でした。
まず最初にやるのは仲間作り。
何一つ決まっていない状態から気の合った同僚の集まりをつくる。なんとなくこの人達と一緒にやりたいなと思う人たちが集まってきて自然にチームができあがる。もちろんリーダーはチームをまとめるでしょうが、それはトップダウン型のまとめ方ではなく調整型。
リーダーの熱弁する世界観に向かって集結するのではなく、まず自然にフィーリングの合う同僚が集まってきて、その後みんなでゲームの世界観をつくっていくんです。リーダーはあくまでまとめ役。
何度かチームの皆さんで店に来てもらいましたが、皆ホントに仲が良かった。まるで大学生のサークル、いや小学校の遠足(失礼!)のような雰囲気でした。
それぞれは優秀な感性と能力を持っておられるのでしょうが、チーム全体としては飛び抜けた、ギラついた、尖った個性、強烈なモチベーションみたいなものは微塵も感じられませんでした。なんとも和やかな雰囲気です。
そして開発期間。5年です。スマートホンの新製品が毎月のように発表されているこの時代に。
まっさらな状態から5年が与えられるんです。潤沢な時間の中で、ゆっくりと余裕をもってつくりあげていく。はるか5年先の完成に向けて。
これだけの余裕があれば、同時代のゲームを愉しみながら自分たちの仕事にフィードバックしていく事も可能でしょうし、途中でやり直したり、立ち止まってしばらく仕事を寝かしておくなんてこともできるでしょう。
その間にみんなで旅行に行ってみたり、バラバラに過ごしてみたり時間に余裕があれば何でも試してみることができます。
なんか贅沢な暇つぶしのようですが、よく考えてみるとこれらはとても理にかなっています。
ゼロから自然に集まったチームは、それぞれはバラバラなエゴと個性を持っているでしょうが、どこかに引きあうものがある。最初はそれが何なのか誰にもわからないけれど、コミュニケートしながらその引きあう部分(=共有する世界)を言葉やイメージや音として徐々に明らかにさせていく。その作業そのものがゲームづくりなんですね。
そしてゲームは世界中の人にプレイされる訳ですから全体から細部まで徹底的に作りこむ。
やろうとしているのはチームの共有世界の顕在化と具現化ですから、時間をかけて人間関係を深めながら、お互いのあいだにある目に見えない抽象的なものを、じっくりとひとつひとつあぶりだしてかたちにして緻密に構成していく。忍耐のいる作業です。
時にはエゴがぶつかり合ったり、耐えられないズレを感じたりするでしょうが、余裕のある時間の中でゆっくりと互いのエゴを消化しながら溶け合わせていく。
オンラインゲームというのは一人か二人でやるゲームとは違い、世界中の人が同時に一つのゲームの中でプレイします。つまりそれは虚構ではあるけれど、まさに世界そのものでもあるんです。
世界をつくるのに一人の独裁者のようなリーダーがすべてを統括するようなやり方では、その世界は一時は光彩を放つこともあるででしょうが、長続きせずにすぐに壊れてしまいます。そんなことはリアルな過去の歴史をみれば明らかです。
エゴと個性はみな持っています。しかしあくまで自己を押し通そうとする者はチームにはいられないでしょう。というかそもそもチームとして集うことすらできないのでしょう。
オンラインゲームのつくりかた、それを学べたことは今年のいちばんの収穫だったかもしれません。
私が世話になっていた居酒屋の常連のお客さんでNCSOFTという会社の社員の方がいました。NCSOFTは今や世界規模に展開する韓国最大のオンラインゲームの開発企業です。
その方は30代の女性。今年(2012年)スタートした新しいゲームの開発プロジェクトチームのリーダーです。チームはたしか7人か8人。彼女以外はすべて20〜30代の男性でした。
彼女はゲームのコンセプトつくりを担当していましたが、傍からみると無邪気な子どもたちをまとめるお母さん、いやお姉さん(苦笑)のようでした。
とても勉強家で、いつも店に来ると日本酒をグイグイ飲みながら、分厚いノンフィクションのペーパーバック本を読みふけっていました(笑)。カッコいい!
と、それはいいんですが(笑)、オンラインゲームとはなんぞや?と興味津々の私は失礼ながらご来店のたびに話しかけ、いろいろと貴重なお話を伺うことができました。
いろんな話を聞きましたが特に印象に残ったことが2つあります。
①ゲームの開発はまずチームつくりから始まるそうです。スタートした時点ではまだどんなゲームになるのかはわからないとのことでした。
②そして開発期間は5年。つまり5年かけて同じチームで一つのゲームを完成させる。
この2つはちょっとビックリしました。私がイメージしていたゲームの開発とは、
・カリスマ・ゲームデザイナーみたいな作家タイプの個人がいて、ゲームの世界観からストーリー、キャラクターなんかの大筋をつくる。
・その後にプログラマーみたいな人たちが3ヶ月くらいの徹夜作業、突貫工事でプログラムを制作。ゲームとしての形を仕上げる。
・同時進行で会社が広告を打って売り出す。
といった工程で、それら全体を管理しているプロデューサーみたいな人がいる。いわば建築家による家つくりと同じようなものをイメージしていたんです。
しかしそれはもはや過去のはなし。現実は正反対でした。
まず最初にやるのは仲間作り。
何一つ決まっていない状態から気の合った同僚の集まりをつくる。なんとなくこの人達と一緒にやりたいなと思う人たちが集まってきて自然にチームができあがる。もちろんリーダーはチームをまとめるでしょうが、それはトップダウン型のまとめ方ではなく調整型。
リーダーの熱弁する世界観に向かって集結するのではなく、まず自然にフィーリングの合う同僚が集まってきて、その後みんなでゲームの世界観をつくっていくんです。リーダーはあくまでまとめ役。
何度かチームの皆さんで店に来てもらいましたが、皆ホントに仲が良かった。まるで大学生のサークル、いや小学校の遠足(失礼!)のような雰囲気でした。
それぞれは優秀な感性と能力を持っておられるのでしょうが、チーム全体としては飛び抜けた、ギラついた、尖った個性、強烈なモチベーションみたいなものは微塵も感じられませんでした。なんとも和やかな雰囲気です。
そして開発期間。5年です。スマートホンの新製品が毎月のように発表されているこの時代に。
まっさらな状態から5年が与えられるんです。潤沢な時間の中で、ゆっくりと余裕をもってつくりあげていく。はるか5年先の完成に向けて。
これだけの余裕があれば、同時代のゲームを愉しみながら自分たちの仕事にフィードバックしていく事も可能でしょうし、途中でやり直したり、立ち止まってしばらく仕事を寝かしておくなんてこともできるでしょう。
その間にみんなで旅行に行ってみたり、バラバラに過ごしてみたり時間に余裕があれば何でも試してみることができます。
なんか贅沢な暇つぶしのようですが、よく考えてみるとこれらはとても理にかなっています。
ゼロから自然に集まったチームは、それぞれはバラバラなエゴと個性を持っているでしょうが、どこかに引きあうものがある。最初はそれが何なのか誰にもわからないけれど、コミュニケートしながらその引きあう部分(=共有する世界)を言葉やイメージや音として徐々に明らかにさせていく。その作業そのものがゲームづくりなんですね。
そしてゲームは世界中の人にプレイされる訳ですから全体から細部まで徹底的に作りこむ。
やろうとしているのはチームの共有世界の顕在化と具現化ですから、時間をかけて人間関係を深めながら、お互いのあいだにある目に見えない抽象的なものを、じっくりとひとつひとつあぶりだしてかたちにして緻密に構成していく。忍耐のいる作業です。
時にはエゴがぶつかり合ったり、耐えられないズレを感じたりするでしょうが、余裕のある時間の中でゆっくりと互いのエゴを消化しながら溶け合わせていく。
オンラインゲームというのは一人か二人でやるゲームとは違い、世界中の人が同時に一つのゲームの中でプレイします。つまりそれは虚構ではあるけれど、まさに世界そのものでもあるんです。
世界をつくるのに一人の独裁者のようなリーダーがすべてを統括するようなやり方では、その世界は一時は光彩を放つこともあるででしょうが、長続きせずにすぐに壊れてしまいます。そんなことはリアルな過去の歴史をみれば明らかです。
エゴと個性はみな持っています。しかしあくまで自己を押し通そうとする者はチームにはいられないでしょう。というかそもそもチームとして集うことすらできないのでしょう。
オンラインゲームのつくりかた、それを学べたことは今年のいちばんの収穫だったかもしれません。
Posted by Nakajima at 14:00│Comments(0)
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